雲仙・島原・長崎 '19-04-26~28 [旅・散策]
4月26日(金)、放送大学の面接授業で長崎学習センターに向かう道中、諫早で途中下車。レンタカーで雲仙、島原を回る。
雲仙西登山口から登山道路を進むが、標高が上がるにつれ、残念ながら霧で視界は全くきかず、仁田峠への道路は通行止めになっていた。早々に島原に下ったが、島原側は青空が広がっていた。
雲仙普賢岳の火砕流や土石流災害は、平成が始まって間もなくの28年前のこと。雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)などを見学。

(左)がまだすドーム、この場所はもともと海だったが、土石流などの土砂で埋め立てたそうだ
(右)中央が雲仙普賢岳、右が山体崩壊による「島原大変肥後迷惑」で知られる眉山

(左)旧大野木場小学校被災校舎、(右)水無川
鉄路で長崎に来たのは初めてだけど、終着駅であることを実感。

4月27日(土)、早朝散歩で長崎港~長崎地方気象台付近を歩く。

27-28日の2日間、面接授業「核物理の初歩と今日の核問題」を受講。講師は放送大学(物理)の松井哲男先生。内容的にも長崎で受講するのが相応しいかと。

1日目の講義終了後、ロープウェイで稲佐山展望台に登る。風が冷たかったが、360度の展望を楽しむことができた。



4月28日(日)の早朝散歩は出島付近。

2日間の講義が終わり帰途についた。
行きの電車は黒かもめ(787系)、帰りは白かもめ(885系)だった。

雲仙西登山口から登山道路を進むが、標高が上がるにつれ、残念ながら霧で視界は全くきかず、仁田峠への道路は通行止めになっていた。早々に島原に下ったが、島原側は青空が広がっていた。
雲仙普賢岳の火砕流や土石流災害は、平成が始まって間もなくの28年前のこと。雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)などを見学。
(左)がまだすドーム、この場所はもともと海だったが、土石流などの土砂で埋め立てたそうだ
(右)中央が雲仙普賢岳、右が山体崩壊による「島原大変肥後迷惑」で知られる眉山
(左)旧大野木場小学校被災校舎、(右)水無川
鉄路で長崎に来たのは初めてだけど、終着駅であることを実感。
4月27日(土)、早朝散歩で長崎港~長崎地方気象台付近を歩く。

27-28日の2日間、面接授業「核物理の初歩と今日の核問題」を受講。講師は放送大学(物理)の松井哲男先生。内容的にも長崎で受講するのが相応しいかと。
1日目の講義終了後、ロープウェイで稲佐山展望台に登る。風が冷たかったが、360度の展望を楽しむことができた。


4月28日(日)の早朝散歩は出島付近。

2日間の講義が終わり帰途についた。
行きの電車は黒かもめ(787系)、帰りは白かもめ(885系)だった。
2019-05-13 11:50
nice!(2)
コメント(0)
コメント 0